解離性障害 ─多重人格の理解と治療

●解離性障害 ─多重人格の理解と治療
岡野憲一郎 著
判型: A5
頁数: 232頁
価格: 3,675円(税込)
ISBN(旧):
ISBN(新):
【9784753307067】
刊行年: 2007-08-29
●解離という複雑多岐な現象を深く広くバランス良く考察する
目 次●
序 文
はじめに
イントロダクション1──解離とは何か?
解離や多重人格──こんなに不思議で興味深い現象があるだろうか?
哲学者も解離現象について考えることはほとんどなかった
解離の不思議さはつまり「催眠現象」の不思議さでもある
解離を理解する人びとは徐々に増えているが,しかし……
精神科医も誤診の一端を握っている
幻聴イコール統合失調症という見方はすでに過去の産物である
お母さんが原因ではない
しかし家族との関係が発症に関係しているかもしれない
パートナーこそ最大の治療者となりうる
イントロダクション2──解離のための心のモデル
別人格とは,いわば夢の中の自分のようなものである
解離は生活の隅々にまで及んでいる可能性がある
解離はとっさの事態への「固まり反応」としても理解できる
これまでの心のモデルでは解離は十分に説明できない
人間の脳が「モジュール的」であるということ
改めて解離の定義を理解する──解離とコンピューターの比喩
実際にコードが切れていれば「器質的」,スイッチがオフなら「機能的」
離人症はスイッチが「半切れ」の状態か?
一番理解しにくいが神秘的な,解離の陽性症状や創造性
解き放たれた神経ネットワークは暴走する
第1章 解離の概念が広まることで何が変わったのか?
解離の概念は臨床場面をどのように変えたか?
今後の研究のゆくえ──神経ネットワークモデル
大脳生理学的な研究が示す機能的な「離断脳」と解離現象との符合
解離概念の分類に戻って
本章のまとめ
第2章 DID(解離性同一性障害)とは何か?
DIDをめぐるアメリカの状況
わが国における状況
DIDの持つ現代的な問題点──schizophreniaとの鑑別をいかに行うか?
DIDが含むパラドックスについて
人格の多面性と多重性をめぐる議論
DIDの創造的ないしは生産的な側面──「被暗示性」という概念を超えて
神経ネットワーク・モデルから見た交代人格の形成過程
第3章 DIDとBPD(境界パーソナリティ障害)──スプリッティングの概念を中心に
はじめに
精神病症状から解離へ
精神病から解離への読み替えが意味したこと
解離におけるスプリッティング
スプリッティングは,BPDの理解のためのキーワードである
スプリッティングの本来の意味
スプリッティングと比較した解離の特徴
解離と秘密,および罪悪感
スプリッティングと解離(ないしはBPDとDID)の相互関係について
まとめに代えて
第4章 解離における自傷行為
従来のとらえ方──行動化としてのリストカット
外傷と解離の文脈での自傷行為
リストカット──最近の知見
最後に──本章の考察を通して見える全体像
第5章 DIDとschizophrenia(統合失調症)との関係──解離における創造性の見地から
解離性障害とschizophreniaは最初から混同されていた?
「解離性の妄想」と「真性」の妄想との違い
「解離性の妄想」の創造性と恣意性
現在の脳科学も「解離性の妄想」の創造性を説明する
ま と め
第6章 どのような外傷やストレスが病的な解離を生むのか?──「解離を生むようなストレス」という概念について
そもそも解離を生むような外傷やストレスは「特殊」なのか?
「日本型」の解離性障害はあるのか?
「関係性のストレス」という概念に思い至る
「関係性のストレス」による日本固有の解離性障害──「イム」について
「解離を生むようなストレス」に共通する「投影の抑制」
投影や外在化が抑えられるようないくつかの状況
第7章 日本におけるDIDの病理(1)
帰国後最初の5症例との体験
日本の父親は虐待に加担していないのか?
「解離を生むようなストレス」としての「日本的な母子関係」?
「関係性のストレス」と母親の過干渉
「母親の過干渉」vs.「子どもの側の幻想」
最 後 に
第8章 日本におけるDIDの病理(2)
解離性障害の成因として指摘されてきた幼児期の虐待
米国での臨床を通しての体験
日本での臨床を通じての経験
わが国における幼児期の虐待の特徴
再び「関係性のストレス」について
母子関係における投影の抑制とダブルバインド
最 後 に
第9章 DIDの治療
治療にあたっての基本的な考え方──何を「治療」するのか?
「人格の統合」の難しさ
まず合併症の治療その他による「システムの安定」を目指す
患者にグループとして語りかけるが,「担当者」は決めておく
治療の中身としての地道な「つなげる作業」
薬物療法
入院治療
パートナーや配偶者の治療者としての役割
第10章 私のDIDの「治療歴」を振り返る
先立つ日本での体験
DIDの患者との出会い
そして10年後
DIDを何にたとえるか?
「人格の統合」とそれから先の長い道のり
私はDIDの懐疑論者になったのだろうか?
最 後 に
付章 鼎談「日本での解離の臨床について語り合う」(岡野憲一郎・奥田ちえ・柴山雅俊)
参考文献
あとがき
索 引
●「序文」より抜粋
自分の意識が,あるいは身体が,自分のコントロールを離れてしまい,そこに存在することすら分らなくなったり,自分の意志とは関係なく活動を始めてしまうことがある。まとまりのないことを言ったり,そのようにふるまったり,その人らしからぬ振る舞いを急に始めてしまう。時には自分が思ってみなかったような観念が生じたり,声が聞こえたり映像が見えたりする。身体の一部が動かなくなったり,逆に意思に反して勝手に動いたりする。周りの世界との間に距離を感じたり,自分の感情が無くなったり,自分という存在や,存在したことの記憶が無くなったように感じることもある。知らないあいだに,どこか遠くの場所に行ってしまうこともある。
このように,運動感覚や知覚も含めた意識の一部が自分から切り離され,自律的に活動して自分の精神生活や現実の行動に影響を与えるという現象は,広く解離と呼ばれている。19世紀から20世紀初頭にかけての精神医学は,多くの精神疾患を解離という立場から説明しようとしていた。たとえば統合失調症の原語であるGruppe der Schizophrenienという病名の中にも,schizoすなわち連想機能の解離という表現が含まれているし,最初の内は精神解離(乖離)症と翻訳されたほどである。
解離という現象はこれほどに重要なものであったけれど,精神医学の中でのその地位は,有為転変を繰り返してきた。ジャネの解離説はフロイトの抑圧論の前に影が薄くなってしまい,その抑圧論も1980年の米国精神医学会の診断基準の改訂以降は,公式には見捨てられたに等しい。現代の精神医学は解離という現象を意識の外に追いやっているかのようであるし,いわば解離それ自体が「解離されて」いる。そして解離の中で記憶や意識が断片化されるのと同じように,現代の精神医学の中では解離についての説明や概念も断片化されている。
そのような時代の中で,解離について広く論じた本書が出版されたことは,多くの臨床医にとって,また患者にとっても非常に喜ばしいことと思う。本書を執筆された岡野憲一郎先生は,米国での精神分析の訓練と第一線の臨床に長く従事された経験を背景として,解離という複雑多岐な現象を,深く,広く,またバランス良く考察されている。著者による理論の紹介は臨床的事実への関心をかき立て,事実の呈示は理論的興味を刺激する。全体として一つのストーリーのように読めるのは,著者の視点が確固としているからだと思う。
本書は解離についての理論書としても,臨床の手引きとしても,また資料としても優れた一冊である。その時々の読者の問題意識によって,この本の価値は違って見えるはずである。自分がこれから本書をどのように読み返していくのかが楽しみであるし,また多くの読者がその楽しみをともにすることを願っている。
金 吉晴
●本書のみどころ(「イントロダクション1─解離とは何か?」より抜粋)●
978475330706.pdf(PDF)




