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乳児研究から大人の精神療法へ

―間主観性さまざま

目次

目 次●
 謝  辞
 著者紹介
 序  章
1.乳児研究と大人の精神療法での間主観性さまざま―システム的観点
2.乳児研究における間主観性さまざま―Meltzoff,Trevarthen,Sternの比較
3.乳児期の間主観性さまざま―視点の拡大とその精神分析への応用
4.かかわりあう顔―早期外傷の大人の治療における間主観性さまざま
5.『乳児研究から大人の精神療法へ:間主観性さまざま』についての考察
6.神経科学から見た『乳児研究から大人の精神療法へ:間主観性さまざま』
 あとがき
 人名索引
 事項索引

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内容説明

序章より●  本書は,治療的出会いにおける言語的ならびに非言語的交流形態に関する,ここ10年のわれわれの共同研究の産物である。そもそもの発端は,相互交流プロセスへの関心であり,また,対面コミュニケーションをめぐるここ30年の乳児研究が,大人の治療におけるコミュニケーションにまつわる理解を豊かにできるとすれば,それはいかにしてか,という好奇心であった。そこでわれわれが目標としたのが,前自省的に,意識にのぼることなく作動する交流と,もっと一般的に,語りの言葉を通じて作動する交流,その両方に関する理解を統合することであった。  こうした,異なる交流形態を統合しようとするうちに,われわれの取り組みの焦点となったのが,間主観性intersubjectivityという中軸的な構成概念である。驚くべきことにここ10年,乳児研究ならびに精神分析で,その領域を先導する理論家たちにより,間主観性理論をめぐる重要な展開が,パラレルに進められてきた。両者の間には対話がほとんどなかったにもかかわらず,である。精神分析はこれまで間主観性を,主として,言語的,判然としたexplicit形で描き出し,乳児研究はそれを,行為連鎖ないしは手順知識という非言語的,暗黙のimplicit様式で描いてきた。われわれが戸惑ったのは,全く同じ用語で,精神分析理論家は象徴的な心を,乳児理論家は前象徴的な心を,それぞれに描写していることであった。そこでわれわれは,この複雑な概念のより良い理解を求めて,大人の間主観性理論家と乳児の間主観性理論家双方を検討することにした。 第1章においては,われわれの中核的概念を定義づけ,議論のための舞台を整えるとともに,鍵を握るさまざまな理論家を簡潔に比較することで,精神分析の用語としての間主観性の意味の違いを解説したい。  第2章では,3人の乳児期の間主観性理論家,Andrew Meltzoff,Colwyn Trevarthen,Daniel Sternを比較する。  第3章では,乳児研究が,精神分析における間主観性さまざまというわれわれの概念の精緻化に,いかに寄与できるかを論じる。まず最初に,Meltzoff,Trevarthen,そしてSternの研究が,主として心の対話的起源と,非言語的な暗黙の一致という考えによって,精神分析における間主観性の概念を豊かにすることを示す。  第4章では,Beebeの臨床ケースを提示して,第3章で論じたさまざまな概念を具体的に解説する。この治療では,顔が,関係性の交渉negotiationの中核的メタファーとなった。  Jacobsは,ニューヨーク精神分析協会での訓練を経て,今ではそこで教育にあたっている,大人と児童両方の古典的精神分析家で,その視点から本書の諸論文を論議している。  精神分析の臨床家Pallyは,さらにもう一つ別の観点を提示している。神経科学の,精神分析との関連性である。Jacobs同様,Pallyは,非常に違った観点からではあるが,大人の治療における非言語的コミュニケーションの役割にもっと注目するよう声を大にする。   ■■本書のみどころ(第4章より抜粋)■■

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