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子どもを考える

ウィニコット著作集4

子どもを考える

精神科医で小児科医という著者の立場を反映する創造的な発言の数々

著者 ウィニコット D.W.
牛島定信
藤山直樹
生地新
ジャンル 心理療法・カウンセリング
精神分析
発達・思春期・老年
出版年月日 2008/05/02
ISBN 9784753308064
判型・ページ数 A5・280ページ
定価 本体3,800円+税
在庫 在庫あり
 

目次

目 次●
 
「ウィニコット著作集」日本語版にあたって
 謝  辞
 まえがき
 序  章
 
第1部 観察,直観,そして共感
 第1章 人間性についての客観的研究に向けて(1945)
 第2章 「なるほど,でもどうやってそれが真実だとわかるの?」(1950)
第2部 早期の乳幼児の発達
 第3章 外的現実との最初のひき合わせ:早期の段階(1948)
 第4章 環境のニード;早期段階;完全依存と本質的独立(1948)
第3部 家  族
 第5章 情緒発達が授乳問題に及ぼす影響について(1967)
 第6章 子どもの睡眠拒否(1968)
 第7章 喪失が青年に与える影響(1968)
 第8章 青年たちが語ること(1966)
 第9章 非行と常習犯(1940年代初期)
 第10章 家族問題への臨床的アプローチ:家族とは(1959)
第4部 就  学
 第11章 就学前児童の精神衛生(1936)
 第12章 教師,親,そして医師(1936)
第5部 症例研究と観察
 第13章 同胞誕生後の症候学に関する一臨床例(1931頃)
 第14章 ある幼い男児についての覚書(1938)
 第15章 ニフルThe niffle(著作年不明)
第6部 心身相関の問題
 第16章 遺尿症に関する討論のための寄稿(1936)
 第17章 丘疹状蕁麻疹と皮膚知覚の力動(1934)
 第18章 児童精神医学:心理学的な要因によって影響を受ける身体(1931頃)
第7部 成長する子どもの専門的ケア
 第19章 児童精神医学のための訓練:小児科の心理学部門(1961)
 第20章 治療における時間要因に関する覚え書き(1961)
 第21章 集団現象としてみたときの児童心理学と児童精神医学の学会(1967)
 第22章 小児科学と児童心理学との関連:臨床観察(1968)
 第23章 児童精神医学,ソーシャルワーク,そして代替的な介護(1970)
  
各章の出典
著作目録(ハリー・カルナック編)
監訳者あとがき
索  引

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内容説明

第5章より一部抜粋■私は小児科医として出発し,徐々に精神分析家と児童精神科医へ転向しました。私がもともと身体に関心を向けていた医者であったことは,私の仕事に多大な影響を与えてきました。私は,45年間実践し続けてきたにすぎませんが,結果的に非常に多くの経験を得ることになりました。それだけの期間があれば多くのデータを収集できるものです。  不思議なことに,医者および看護者に対する身体的側面についての教育は明らかに,人間としての乳児への関心から何かを抜き取っています。私自身教育を受け始めた時,赤ちゃんへの共感までを含んだ子どもへの自分の自然な共感能力が自分のなかで保持できないことに気づきました。私はこのことを欠陥として十分に認識していました。しかし徐々に,乳児と母親あるいは乳児と親との関係の中にいる自分を感じられるようになったことは,大きな安堵をもたらしました。身体面での教育を受けている人たちの多くには,私が経験したのと同じような障害があると思いますし,乳児の靴を履いて立てる,つまり乳児の身になって感じられるようになるには,自分自身についてのワークをかなりしなければならないでしょう。「身になって感じられる」ことを「靴をはいて立つ」というのは少々滑稽な比喩であると思います。乳児は靴を履いて生まれてきませんから。しかし,皆さんは私の言いたいことをおわかりでしょう。  小児科医が生まれたばかりの人間の人生のはじまりに立ち合うとき,人間的な事柄について理解していることは重要です。というのは,小児科医は,親たちと話す時に親の重要な機能について理解できていなければならないからです。病気の時には医者が必要です。しかし親は子どもが病気の時だけでなく,常に重要なのです。もし子どもが肺炎に罹れば,両親は信頼を持って医者を呼びます。その医者が,子どもが病気でないときに赤ちゃんのニーズに合わせて両親がするすべてのことに盲目であったとしたら,母親や両親にとってきわめてやっかいなことです。  たとえば,乳児への授乳に関する困難の大部分は,生まれたばかりの乳児のニーズに合わせる際にすべての母親が抱える大きな問題と関係があるのです。母親は独力でそれをやらなければなりません。なぜなら同じ乳児は二人といないし,いずれにせよ同じ母親は二人といないし,一人の母親はそれぞれの子どもに対して決して同じではないからです。母親はかつて自分が乳児であったことや,乳児と一緒にいる親たちを観察することやきょうだいの世話に加わることから多くのことを学んできたかもしれません。そして大部分は,幼い時期に母親や父親になってままごとをしたときに非常に大切なことの多くを習得しています。  母親になるためには,あるいは(男性も含めて)母性的maternalになるためには,かなりの程度の乳児との同一化が必要なのです。けれどももちろん母親は同一化しているあいだも大人の状態を維持しています。

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