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学校現場に生かす精神分析

学ぶことと教えることの情緒的体験

学校現場に生かす精神分析
 

目次

●目  次
 序
第一部 はじまり(I・ザルツバーガー‐ウィッテンバーグ)
 第一章 期待には希望と恐怖があふれている
第二部 人間関係の性質を理解すること(I・ザルツバーガー‐ウィッテンバーグ)
 第二章 生徒から見た教師との関係
 第三章 教師から見た生徒との関係
 第四章 学ぶことの情緒的側面
第三部 教室にいる一人ひとりの子どもを理解すること(G・ウィリアムズ)
 第五章 理想化された関係
 第六章 けなす関係
 第七章 有益な関わり
第四部 家族や専門機関との連携(E・オズボーン)
 第八章 生徒の家族と教師との関係
 第九章 教師と他の専門家との関係
第五部 終  結(I・ザルツバーガー‐ウィッテンバーグ)
 第十章 さまざまな終結

 読書案内
 解説1 日本の学校教育とカウンセリング──その問題と精神分析が貢献する領域(鈴木 誠)
 解説2 本書成立の背景──英国の実践現場より(鵜飼奈津子)

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内容説明

解説より抜粋■ いつの時代も学校は、激しいインパクトに曝されている。このなかで教師と子どもは、教え学ぶという関係性を生きている。これは親や教育行政に携わる人にも無縁ではない。二つの方向からのインパクトがある。時代の変化による家族や社会からの要請。これが大きな外的インパクトになる。もうひとつは、子どもがもつ親イメージや成長する力、大人が子どもに求めるナルシスティックな期待。これが内的インパクトになる。それゆえ学校では、いつも多彩な問題が生じて子どもと大人を巻き込み、教育はいつもデリケートでホットな問題となるのである。 深刻さはさまざまだが、学校ではほぼ毎日「事件」が起きている。学級崩壊や不登校だけではない。子どもが突然、激昂し暴れ、ほかの子どもを傷つける。子ども同士の衝突、仲間グループの再編の流れから取り残されて、ひとりの子どもが孤立する。この子どもの感じ方によっては、この問題はしばしば「いじめ」事件となる。もちろん、悪質ないじめや暴力もある。低学力、非行、虐待されている子ども。親や地域から理不尽な苦情や注文も学校に持ち込まれる。また校外で、子どもが事件や事故に巻き込まれることもある。 カウンセリングを求めず、教師の関わりを拒絶する生徒や親、あるいは騒然とした学級、雑然とした保健室の子ども集団。こうした事態への援助として、カウンセリングはほとんど無力なのだ。しかもこの種の問題こそが、教師や親などの大人をひどく悩ませ疲弊させている。混乱に飲み込まれ、「訳が分からない」不安や憤り、「無力感」や「困惑」に圧倒されるのである。一般的に子どもと関わる大人は、子どもの問題について「きちんと理解すれば」、適切な関わり方ができると通常は考えている。しかしこの事態に遭遇した大人は、この体験を抱えることも消化することもできず、理解できなくなっているのである。この「分からなさ」を乗り越える方法が求められている。 「理解できない」子どもの問題について、本書では精神分析の観点と概念を導入して理解を試みている。問題を「いま、ここで」の関係性から生じた現象として見つめなおし、ごく日常的な言葉で表現された精神分析の概念をつかって理解していく。本書にはそのための見方と考え方が提供されている。この「情緒的体験から学ぶ」という方法が、「分からなさ」に圧倒されている大人に「考えるスペース」を作り出す。そして「考えるスペース」で、粘り強く「関心をもって理解しようとする」大人の思考が、より深い子どもの理解をもたらすのである。これはカウンセリングだけに役立つような特別な作業ではない。ごくごく普通の教師や親など大人が、子どもや子ども集団と関わるときにも役立つ日常的な行為になりうるのである。この共感(理解)の場は、子どもだけでなく、教師や親、カウンセラーなど大人にも広がっていく。つまり、いわゆる「心の教育」の中身を埋める営みがここに含まれているのである。(鈴木誠)

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