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集中講義・精神分析㊤
精神分析とは何か/フロイトの仕事
気鋭の分析家が精神分析の本質をダイレクトに伝える
著者 | 藤山 直樹 著 |
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ジャンル | 心理療法・カウンセリング 精神分析 |
出版年月日 | 2008/10/27 |
ISBN | 9784753308156 |
判型・ページ数 | A5・296ページ |
定価 | 2,970円(本体2,700円+税) |
在庫 | 在庫あり |
目次
はじめに
Ⅰ 精神分析とは何か
イントロダクション
1 精神分析とは何か?──外側からの視点
2 精神分析とは何か?──内側からの視点
3 精神分析という営み?──分析の場所
4 精神分析という営み?──精神分析というできごと
Ⅱ フロイトの仕事
5 フロイトの人生と仕事?──精神分析に向かって
6 フロイトの人生と仕事?──精神分析の成立
7 フロイトの人生と仕事?──性愛理論の確立と技法の発展
8 フロイトの人生と仕事?──古典理論の確立
9 フロイトの人生と仕事?──後期理論
10 まとめ
リーディングガイド
あとがき
索引
Ⅰ 精神分析とは何か
イントロダクション
1 精神分析とは何か?──外側からの視点
2 精神分析とは何か?──内側からの視点
3 精神分析という営み?──分析の場所
4 精神分析という営み?──精神分析というできごと
Ⅱ フロイトの仕事
5 フロイトの人生と仕事?──精神分析に向かって
6 フロイトの人生と仕事?──精神分析の成立
7 フロイトの人生と仕事?──性愛理論の確立と技法の発展
8 フロイトの人生と仕事?──古典理論の確立
9 フロイトの人生と仕事?──後期理論
10 まとめ
リーディングガイド
あとがき
索引
内容説明
この講義は大部分、2006年の上智大学における精神分析についての系統講義の春学期分をもとにしています。大学学部で講義しているとは言え、フロイトのウィーン大学での講義「精神分析入門」がそうであったように、私はできるかぎり高い志で、私の考える精神分析の本質をまったく精神分析を知らない聴衆にじかに伝えることを試みました。
精神分析というものはこの国で根付いていません。欧米では、それはひところいくぶん持ち上げられすぎといえるほどの敬意を集め、その後生物学的精神医学や実証主義、より客観的に語ることのできる他のディシプリンの台頭によってその地位が危うくされつつあるという歴史をもっています。しかし、日本でそれは一度も真の意味の敬意を集めたことはないといってよいでしょう。おそらく世界のいわゆる先進国のなかで、一般の知識人と精神分析との距離がもっとも遠い国が日本なのです。
長年パーソナルなものを差し出して訓練を積んだ精神分析家と自分の時間とお金を差し出して深い意味での幸福を求める被分析者とのあいだで、パーソナルで極度に親密な交流がきわめてフォーマルな枠組みのなかで長期間にわたって真摯に繰り広げられるユニークな営み、それが精神分析です。
私個人はその実質に何の疑いもありません。自分の訓練の過程においても、日々の実践においても、絶えずその力を実感してきました。けれど、その実感と確信を次世代に伝えることがなければ、精神分析という文化は枯れてしまうでしょう。精神分析を分析家としておこなう人、被分析者としてそれに取り組む人、そして精神分析を学ぼうとする人、精神分析という文化が生きつづけるには、こうした人たちの存在が必要です。こうした人たちの人生のあいだにこそ、精神分析は息づくことができるのです。この国の若い人たち、わけても臨床を志す人たちに、できるだけ生きた形で精神分析を提示することは、この意味で、精神分析がその生命を維持するためにとても重要なことなのです。
私は歴史的な視点というものが重要だと考えます。単に精神分析のさまざまな理論を平板に紹介するのではなく、それがフロイトをはじめとする分析家のなかでどのように形をとり、他の分析家や患者との対話のなかで練り上げられて行ったのか、という生成の過程こそを語りたいと思いました。さらに私は、精神分析の実践をおこなっている分析家としての私が語っているという事実を大切にしたいと思いました。ひとつの営みとしての精神分析という視点に根ざして語りたいと思ったのです。
この本が精神分析への興味を掻きたて、もっと勉強したい、分析家になってみたい、分析を受けてみたい、といった気持ちのきっかけになれば、そのようなことに役立つことができれば、私にとって望外の喜びです。(「はじめに」より,藤山直樹)
精神分析というものはこの国で根付いていません。欧米では、それはひところいくぶん持ち上げられすぎといえるほどの敬意を集め、その後生物学的精神医学や実証主義、より客観的に語ることのできる他のディシプリンの台頭によってその地位が危うくされつつあるという歴史をもっています。しかし、日本でそれは一度も真の意味の敬意を集めたことはないといってよいでしょう。おそらく世界のいわゆる先進国のなかで、一般の知識人と精神分析との距離がもっとも遠い国が日本なのです。
長年パーソナルなものを差し出して訓練を積んだ精神分析家と自分の時間とお金を差し出して深い意味での幸福を求める被分析者とのあいだで、パーソナルで極度に親密な交流がきわめてフォーマルな枠組みのなかで長期間にわたって真摯に繰り広げられるユニークな営み、それが精神分析です。
私個人はその実質に何の疑いもありません。自分の訓練の過程においても、日々の実践においても、絶えずその力を実感してきました。けれど、その実感と確信を次世代に伝えることがなければ、精神分析という文化は枯れてしまうでしょう。精神分析を分析家としておこなう人、被分析者としてそれに取り組む人、そして精神分析を学ぼうとする人、精神分析という文化が生きつづけるには、こうした人たちの存在が必要です。こうした人たちの人生のあいだにこそ、精神分析は息づくことができるのです。この国の若い人たち、わけても臨床を志す人たちに、できるだけ生きた形で精神分析を提示することは、この意味で、精神分析がその生命を維持するためにとても重要なことなのです。
私は歴史的な視点というものが重要だと考えます。単に精神分析のさまざまな理論を平板に紹介するのではなく、それがフロイトをはじめとする分析家のなかでどのように形をとり、他の分析家や患者との対話のなかで練り上げられて行ったのか、という生成の過程こそを語りたいと思いました。さらに私は、精神分析の実践をおこなっている分析家としての私が語っているという事実を大切にしたいと思いました。ひとつの営みとしての精神分析という視点に根ざして語りたいと思ったのです。
この本が精神分析への興味を掻きたて、もっと勉強したい、分析家になってみたい、分析を受けてみたい、といった気持ちのきっかけになれば、そのようなことに役立つことができれば、私にとって望外の喜びです。(「はじめに」より,藤山直樹)
著者情報
藤山 直樹 著
1953年福岡県に生れる。幼少期を山口県の瀬戸内海岸で育つ。1978年東京大学医学部卒業。その後,帝京大学医学部助手,東京大学保健センター講師,日本女子大学人間社会学部教授,上智大学総合人間科学部心理学科教授を経て,現在上智大学名誉教授。東京神宮前にて個人開業,国際精神分析学会会員,日本精神分析協会訓練分析家,日本精神分析協会運営委員,日本精神分析学会運営委員,小寺記念精神分析研究財団理事長。
著訳書 精神分析という営み―生きた空間をもとめて,続・精神分析という営み―本物の時間をもとめて,精神分析という語らい(以上,岩崎学術出版社)心のゆとりを考える(日本放送出版協会)転移-逆転移(共著,人文書院),「甘え」について考える(共編著,星和書店)オグデン=こころのマトリックス(訳,岩崎学術出版社)サンドラー=患者と分析者[第2版](共訳,誠信書房)現代フロイト読本1・2(共編著,みすず書房)集中講義・精神分析 上・下,精神分析という語らい,認知行動療法と精神分析が出会ったら―こころの臨床達人対談(以上,岩崎学術出版社),落語の国の精神分析(みすず書房)フロイト=フロイト技法論集(岩崎学術出版社)他
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