目次
第1章 James S. Grotsteinによる,イントロダクション
第Ⅰ部 Winnicottは,精神病水準の不安の在りか,に働きかけます――わたくしの個人史
第2章 自己分析を語るさいの危険
第3章 Dr. X. との精神療法 1936~1938年
第4章 Ella Freeman Sharpeとの,精神療法 1940~1947年
第5章 D. W. W. との精神療法 1949~1955年,そして1957年
第6章 その後のこと 1957~1984年まで
第7章 教師としての,Winnicott
第Ⅱ部 依存状態への退行,の価値
第8章 退行の価値
第9章 精神病水準の不安,の開拓
第10章 母のハンドバッグから盗んだもの
終章 Donald Winnicott,その人
文献
訳者あとがき
内容説明
「新装版へ添えて」より 訳者あとがきに語っているいきさつで,僕はこの本を訳しました。隅々まで愛着こめて訳しました。内容がリトルさんのウィニコットへの愛着に溢れているので,僕の愛着とが溶け合って,情感を搾り出すような訳文となりました。句読点が多すぎる訳文の文体は,読みづらいかもしれませんが,写真にある老いたリトルさんの息遣いを示しえていると感じて,僕は気に入っています。 想いをこめた訳書だったので,あまり売れなかったのは悲しいことでした。在庫切れのまま消えてしまうのだろう。理論や技法を表立って提示していない内容だから仕方ない,とあきらめていました。ところが最近,欲しいとおっしゃる声をあちこちで聞くようになりました。治療現場の実像を知ることで理論と行為との連関を把握したい,との実務家の要望の深まり,つまりわが国における精神療法の成熟,に由来するのであろうと思い嬉しい心地です。 少しでも値段の安いものにしたいので,ソフトカバーにしてもらいました。また,表題と副題とを入れ替えました。上に述べたような本書の現時点での役割を考えての変更なのです。それ以外には訳文の内容もまったく変更ありません。初版をお持ちの方がうっかりして購入されることのないようにお願いします。 これは熱っぽい危険な治療実践の記録です。だけど,スッキリした治療技法の底に,このような熱っぽいかかわりが潜んでいる,2つは矛盾なく両立する,いや,2つが互いに支え合ってこそ実効を発揮するのだ。老いを加えるにしたがい,そう確信するようになっています。 「訳者あとがき」より抜粋● M. Littleの名は,精神療法の技法探索の,わたくしの歴史の,冒頭に居る人であった。本を手にとって拾い読みするうちに,M. Littleは,Winnicottから精神分析を受けた人であることが分かった。Winnicottについては,わたくしのなかに,特別の思い出があった。 1990年に,本書が出版された。その内容は,Winnicottとの治療分析の,詳細であった。ご覧のように,鮮烈な内容であった。訳業の途中で,胸に突き上がってくる感情を抑えるべく,しばし瞑目することが,幾度かあった。 また,Littleさんによって描きだされているWinnicottの考えや行動が,わたくしが理想として目指している精神療法家の像と一致しているので,嬉しくなり,Littleさんへの親しみが強くなった。原著書にはない,Winnicottの写真と,Littleさんの写真とを,並べて収載して,Littleさんへのプレゼントにしたくなった。そこで,Littleさんのいちばん気に入っているWinnicottの写真を,送ってもらった。実は,1972年に,国際精神分析学会誌の,Winnicott追悼号がだされている。そこに用いられている写真が,わたくしのいちばん気に入っているWinnicott像である。Littleさんとわたくしとでの,Winnicott像の違いであった。わたくしは,少しばかり未練を残しながら,Littleさんに譲った。だって,これはLittleさんの本なのだから。 神田橋條治