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覆いをとること・つくること

〈わたし〉の治療報告と「その後」

覆いをとること・つくること

「抱えること」に貫かれた臨床実践の軌跡とその後

著者 北山修
ジャンル 心理療法・カウンセリング
精神分析
出版年月日 2009/11/06
ISBN 9784753309122
判型・ページ数 A5・312ページ
定価 本体3,500円+税
在庫 在庫あり
 

目次

主要目次●
 
第一章 「覆いをつくる」─精神分析的精神療法へのイントロダクション─
第二章 症例報告集
  ある強迫神経症患者の吐き気について
  「汚したい」について─ケガレの精神分析に向けて─
  妄想患者の治療における比喩の発生─六年前の治療記録から学ぶ─
  文字通りの経験が比喩になる過程─「橋架け」の過程─
  自虐的世話役について
  「不眠不休」について
  「抱えること」と媒介的退行
  「ありがとう」と言えない─ある青年─
  身体とことば─「からだの声を聞く」─
  自らをヌイグルミにして生きる患者─言葉と意味の上滑りの取り扱い─
  転移と現実の間─関係を織り込み紡ぎ出すこと─
  話すことの役割と限界─分接の逆説を生きる─
第三章 症例の「その後」から学ぶ

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内容説明

「まえがき」より抜粋■    本書はこのままでは、本格精神分析の王道を目指す本ではない。しかしながら、これを支える精神はこのままでも精神分析の大義とは矛盾しないはずである。そしてここで、そういう本書が醸し出す、広義の精神分析とは矛盾しないが、「純粋な精神分析」とは矛盾する、という外に与える印象を自覚することは極めて重要であり、著者は分析的治療者としてそれを引き受けることを主張するものである。  というのも純粋精神分析や本格精神分析は、本来、防衛の強い「普通の人たち」や偏った防衛を肥大させている病者に対してのものであり、歪んだものであるにせよ、分厚いものであるにしても、潔く、何とかその覆いを除去しようとする治療なのである。その上、適応に成功する「普通の人々」は、自分に正直ではなく、嘘つきであり、なかなか中身を見せはしない。〈私(わたくし=自我)〉とは「我を隠すこと(ワ+カクス)」を身上としており、それが機能している限りは〈私〉は私なのである。  精神分析は「深層心理学」なのであり、「心の解剖図」「心の外科学」を微細に描き明確に提示する精神分析に対して、「精神内科学」を目指した本書は、精神分析から学びながらも、実践は本格的精神分析ではないところを、第一に強調しておきたいのだ。こうなるとは人生も大半を終えた頃になるまで気がつかなかったが、それは、日常臨床の現実と、私自身の内部からの声に誠実につきあってきた結果である。それに、本書で示す対象者の防衛はもろくて、心の中身が露呈しており、中身の開示の程度はいわゆるノーマルな「普通の人々」とは比べ物にならない。ここに登場するケースは、症例Fを除いて、「普通」ではなく、私が初めて会った頃は特に、その身を守る適応的な防衛というものが破綻した人たちだった。だからこそ、「覆いをとる」というより「覆いをつくる」治療が求められたのである。今から考えても、彼らは「普通の人」たちよりも、あるいは、私なんかよりも、嘘のつけないずっと正直な人たちであった。  こうして、本書の内容を真似される時には、また本格精神分析の擁護のためにも、それが踏まえる「心の解剖学」としてはフロイト、クライン、ウィニコットなどの読書は並行して勧められる。  九州大学の退職の年に当たり、大学の授業で、これらの報告を使って議論した時の、学生たちとの質疑応答を基本にして「Q&A」を編集して添えてみた。これで、皆さんに「使って」もらいやすくなるだろう。第二章の症例報告集の前半は著作集と重複があるが、再録に当たり、「新注」と特記して脚注を増やした。同時に、発展途上の生ものらしく、人工的にシステマティックな形をとらぬ形でその有機的ネットワークを増殖させてみた。結果的に、ある程度は自分に正直であると同時に野心的な内容となり、私はこういうことを言うために生きたのだということが見える本になったと思う。ライフワークとは、こういうものなのだろう。  北山修

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