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解釈を越えて

サイコセラピーにおける治療的変化プロセス

解釈を越えて

精神分析的治療はいかにして変化をもたらすか

著者 ボストン変化プロセス研究会
丸田俊彦
ジャンル 心理療法・カウンセリング
精神分析
出版年月日 2011/08/10
ISBN 9784753310265
判型・ページ数 A5・264ページ
定価 本体4,000円+税
在庫 在庫あり
 

目次

目次●
 謝 辞
 序 文 本書の成り立ちと構成:BCPSGのそもそもの始まり
第1章 精神分析的治療における非解釈的メカニズム:解釈を“越えた何か”
第2章 関係性をめぐる暗黙の知:精神療法的変化における中心的概念
第3章への導入
第3章 “私が分かったとあなたが分かったと私が分かる……”
第4章への導入
第4章 暗黙のものを解明する:分析状況における変化のマイクロプロセスとローカルレベル
第5章への導入
第5章 「解釈を“越えた何か”」再考:精神分析的出会いにおけるスロッピーネスと共創造性
第6章への導入
第6章 精神力動的意味の根源的レベル:葛藤,防衛,そして力動的無意識との関係における暗黙のプロセス
第7章への導入
第7章 関係的な意味のさまざまな形:暗黙の領域と自省的・言語的領域との間の関係をめぐる課題
第8章 “関係性をめぐる暗黙のプロセス”に基づいて治療作用を考える

参考文献
訳者あとがき
人名索引
事項索引
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訳者略歴●
丸田俊彦(まるた としひこ)
1946年 長野県須坂市に生まれる
1971年 慶應義塾大学医学部卒業
1976年 メイヨ・クリニック精神科レジデント終了
1977年 メイヨ・クリニック精神科コンサルタント
1979年 メイヨ医学部精神科助教授
1980年 米国精神科専門医試験官
1982年 メイヨ医学部精神科準教授
1986年 メイヨ医学部精神科教授
1993年 慶應義塾大学医学部精神神経科客員教授
2004年 放送大学客員教授
2004年 メイヨ・クリニック医科大学精神科名誉教授
2005年 東京大学大学院人文社会系研究科客員教授
専 攻 精神医学
現 職 サイコセラピー・プロセス研究所(IPP)所長
著訳書 短期力動精神療法(岩崎学術出版社 共訳),サイコセラピー練習帳─グレーテルの宝捜し,サイコセラピー練習帳Ⅱ─Dr. Mへの手紙,コフート理論とその周辺,理論により技法はどう変わるか,間主観的感性─現代精神分析の最先端(いずれも岩崎学術出版社),間主観性の軌跡(岩崎学術出版社,共著),乳児の対人世界,間主観的アプローチ臨床入門─意味了解の共同作業,乳児研究から大人の精神療法へ─間主観性さまざま(いずれも岩崎学術出版社,監訳),間主観的アプローチ─コフートの自己心理学を超えて,間主観的な治療の進め方(いずれも岩崎学術出版社,訳),痛みの心理学(中央公論社),その他研究論文多数

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内容説明

序文より抜粋●  患者の心と治療者の心の間で起こったことが,分析の真の主題である。確かに言葉は話される。が,本当に起こっていることの在処は,言葉と言葉の狭間に新生する暗黙の意味にある。次いでわれわれは,共創造性そして間主観性という言葉によって何を意味するのかをさらに詳しく検索する必要に迫られた。こうしてわれわれは,時々刻々の出来事を扱っていることに気付き,それを“ローカルレベル”と呼ぶことにした。  こうしたことはすべて,萌芽として,最初の論文に述べられている。しかし,さらに考察を深め,こうした4つの主眼点(暗黙の意味,共創造性,間主観性,ローカルレベル)を入念に検討する必要があった。それに続く3つの小論文は,最初の論文で紹介した中心的なアイディアのいくつかに関し,さらに詳しく述べている。  2002年,BCPSGは,最も困難な課題を取り上げることになった。“どこで,いつ,何が暗黙なのか?”である。難しいのは,暗黙のものが,言葉ではないからである。それが,時々刻々の世界に属することがますますはっきりするにつれ,われわれはこの言葉,“暗黙の”を,さらに注意深く調べる必要に迫られた。こうしてわれわれは母・乳児観察素材へと立ち戻ることになり,“越えた何か”について語ろうとすれば,ローカルレベルが重要であるという認識に至ったばかりか,ついには,ローカルレベルの重要性を主張するに至った(第4章)。  2005年。ローカルレベル・プロセスは,スロッピーで,非直線的,非因果的,予測不可能であるという,始めはわれわれの目も引かなかった側面に対する認識を深め,それを強調している内に,実はそれは,現場からの視点,進行中の面接場面の内側からの視点であって,事後的に手を加えたバージョンではないことに気がついた。それを理解するにはこれまでとは違う理論的ツール(ダイナミック・システム理論)が必要となり,そのことが次いで,もう一つ,当初はわれわれの目を引かなかった側面を明らかにした。新しい,驚きに満ちた,有益な出来事を創造するプロセスは,予め形成された意味を発掘することによってなされるのではなく,共創造的なプロセスによってなされる,という点である。それは,2つの心の複雑な相互交流の産物なのである(第5章)。  いくつかの批判に答える形でわれわれは,意味が,相互交流には必ず伴う意図と情動的手がかりの仕分けを通して,発達的に,また,治療的に,いかに創り上げられるのかについて述べた。これはさらに,意図の中心性を浮き彫りにすることになった。こうして明らかになってきたのは,これまで精神分析理論は,何が深遠で何が表面的かに関し,全く逆に概念化してきたことである。第6章でわれわれは,このきわめて重大な点に関し,さらに入念に検討した。  第7章でわれわれは,さらにそのプロセスを継続した。臨床が精神力動に基づいた理論を必要とするのは,大方のところ意味に,つまり,ある防衛が何を意味するかによるところが大きいからである。こうして,意味とは何を意味するのかについて,真正面から直面せざるを得なかった。暗黙なものが根源的であることは,ここまでで明確にされた通りであるが,加えてそれは,判然とした意味との適合性や判然とした意味の一貫性と妥当性の,評価ガイドないしは参照点としても機能するのである。  最後に,“精神力動的治療を治療的にしているのは何か”をめぐるわれわれの考えを提案する作業は,困難ながら意欲をそそるものであった。その展開を,“関係性をめぐる暗黙のプロセス”的視点として,最後の章で述べた。

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