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精神分析と文化

臨床的視座の展開

精神分析と文化

文化を切り口に分析臨床の展開をとらえる

著者 岡田暁宜
権成鉉
ジャンル 精神分析
出版年月日 2012/06/25
ISBN 9784753310463
判型・ページ数 A5・200ページ
定価 本体3,500円+税
在庫 在庫あり
 

目次

目次●
序 文(岡田 暁宜)
第1部 精神分析と文化葛藤
1. 文化葛藤と病(高橋 哲郎)
2. カルチュア・ショック概念の治療的応用──治療導入期における入院集団精神療法(丸岡 隆之)
3. ヒステリーと物語とのつながり(近池 操)
4. 環境転移について(岡田 暁宜)
第2部 精神分析と治療文化
5. 精神分析療法の意義(奥寺 崇)
6. 精神分析という治療文化──精神医学的治療文化と精神分析的治療文化(権 成鉉)
7. キャンパス・メンタルヘルスの治療文化(藤田長太郎)
8. 精神分析的につながった個人及び集団心理療法と背景としての治療文化(手塚千惠子)
9. ある境界例女性の病院治療に関する精神分析的考察──治療文化をめぐって(岡田 暁宜)
あとがきにかえて──岡田暁宜先生との対話(権 成鉉)
 
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岡田暁宜(おかだ あきよし)
1996年 名古屋市立大学大学院医学研究科修了
2010年 日本精神分析協会認定精神分析家
専 攻 精神分析,精神医学,精神保健,心身医学
現 職 南山大学人文学部心理人間学科教授,及び名古屋キャンパス保健室長
権 成鉉(ごん せいげん)
1981年 川崎医科大学卒 同精神科入局
1996年 同精神科助教授
2000年 9月同上退職
2000年 10月クリニック ソフィアを開院
1985~1989年 東海大学医学部精神科学教室研修生
1989~1991年 米国メニンガー・クリニック留学
現 職 医療法人ミネルヴァ クリニック ソフィア院長
国際精神分析協会 認定精神分析医

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内容説明

精神分析という治療文化が問われるのはなぜであろうか。我々がこれを問題にすることの背後にあるものは何であろうか。また,このような問題提起は,この国の問題なのであろうか。洋の東西の治療に対する接近について述べられているものはあるが,寡聞にしてこの国以外で,「治療文化」なるのもが問われていることを私は知らない。  「先生,それは趣味ね」と,開業しても精神分析治療を実践している私にある精神科医が言い放ったことがある。この精神科医は精神分析的な立場に立つ人であったので,私は違和感を持った。この私への揶揄ともいえる言葉の内実を考えることで,精神分析という治療文化がこの国で問題になる意味が分かるのではないか。すなわち,精神分析における治療文化が問われる理由の一つに,この「精神分析趣味論」があるのかもしれない。  精神分析的治療文化が問題となる別の理由は,おそらく,わが国の精神医学の歴史における精神分析の位置が,精神分析を志向する者にとって不安定で,安住の地ではないからではないだろうか(もっとも安住の地があるかどうかは,別の問題ではあるが)。  例外はあるにせよ,世間でいう権威あるものに属していないという問題のために,この国での精神分析家は,自らの立ち位置を,常に検証していないと足元を見失うという慢性の不安を抱えているのではないだろうか。  いま一つ精神分析がこの国で安住の地を得ない理由の一つが,訓練の問題にあるように思える。国際基準にそった訓練は,訓練分析を2年以上,2年以上治療を継続できた症例のスーパービジョンを2例,セミナーの参加,と時間的,経済的に大きな投資を自らに課すことになる。また,日本精神分析学会の精神療法医,心理療法士の認定でも,ここまでの時間的,経済的投資はないにせよ,訓練の問題は同様にある。このような訓練を全うして国際精神分析協会の認定の分析家,もしくは日本精神分析学会の認定の治療者になったとしても,この国で何か実利的なメリットがあるかどうか問うた時に,躊躇なく肯定的な返答が出来るかどうか疑問である。実利的な面,すなわち,一般診療での経済的な実利は,この国の医療保険制度を考えた場合に,皆無であるといってもいい。  先の「精神分析趣味論」に立ち返ろうと思う。実利的なものをもたらさないものは,趣味ではある。経済的な実利的側面だけを考えれば,このことは事実で,正しい。にも関わらず,なぜ我々は精神分析を志向するのか。言い換えると,精神分析という治療文化の中に身を置き,置き続けようとするのか,である。  私は上記の問いを心に抱きながら,精神分析という治療文化について語りたいと思う。そして,精神分析という治療文化に身を置き続ける自らを,自己検証をすることで,この章を読んで下さる皆さんに,その治療文化的意義を伝えることが私の意図するところである。(権成鉉 第6章より抜粋)

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