ホーム > 「こころの構造」からみた精神病理
目次
目次●
はじめに──なぜ、人間のこころの構造に注目するのか
第一部 成人の高機能広汎性発達障害者の自己‐世界感──人間のこころの構造の理解のために
第一章 成人の高機能PDD者の理解の仕方
第二章 現在の診断基準からみたPDD
第三章 PDDの発達特徴と彼らの自己‐世界感とをつなぐ代表的な心理概念
第四章 高機能PDD者の自己‐世界感の特徴
第二部 人間のこころの構造と心理学・精神医学
第一章 人間のこころの構造を理解する
第二章 従来の心理学や精神医学とこころの構造の問題
第三部 統合失調症とは──患者の自己‐世界感をめぐって
第一章 統合失調症の再考
第二章 現在の操作的診断基準からみた統合失調症
第三章 従来の精神病理学からみた統合失調症──統合失調症はいかに理解されてきたか
第四章 「こころの構造」(自己‐世界の構造)の視点からみた統合失調症──統合失調症とその下位分類の再考
第五章 破瓜型統合失調症患者の自己‐世界感とその精神病理再考
第六章 妄想型統合失調症患者の自己‐世界感とその精神病理再考
第七章 緊張型統合失調症患者の自己‐世界感とその精神病理再考
第八章 「こころの構造」の視点からみた統合失調症患者の精神行動特性再考
第四部 「非定型精神病」とは──患者の自己‐世界感をめぐって
第一章 「非定型精神病」とは
第二章 「非定型精神病」患者のこころの構造と彼らの求める世界
第五部 破瓜型統合失調症と高機能広汎性発達障害との異同とそこからみえてくる精神病理
第一章 ひとのこころの構造からみた高機能PDDと統合失調症
第二章 誤診例に学ぶ
第三章 統合失調症とPDDをわれわれはどのように捉えてきたか?──精神医学の歴史から
第四章 高機能PDDと統合失調症の誤診の実態──O氏の例から
第五章 「一般型自己」の機能障害としての側面──陰性症状をめぐって
第六章 感覚をめぐる諸体験の局面──「生の感覚」をめぐって
第七章 高機能PDDらしさと統合失調症らしさ
第六部 広汎性発達障害と統合失調症との合併をめぐって
第一章 PDDと統合失調症との合併の考え方
第二章 スキゾイドと単純型統合失調症をめぐって
第三章 統合失調症・構造化不全群の再考
おわりに
あとがき
文 献
索 引
はじめに──なぜ、人間のこころの構造に注目するのか
第一部 成人の高機能広汎性発達障害者の自己‐世界感──人間のこころの構造の理解のために
第一章 成人の高機能PDD者の理解の仕方
第二章 現在の診断基準からみたPDD
第三章 PDDの発達特徴と彼らの自己‐世界感とをつなぐ代表的な心理概念
第四章 高機能PDD者の自己‐世界感の特徴
第二部 人間のこころの構造と心理学・精神医学
第一章 人間のこころの構造を理解する
第二章 従来の心理学や精神医学とこころの構造の問題
第三部 統合失調症とは──患者の自己‐世界感をめぐって
第一章 統合失調症の再考
第二章 現在の操作的診断基準からみた統合失調症
第三章 従来の精神病理学からみた統合失調症──統合失調症はいかに理解されてきたか
第四章 「こころの構造」(自己‐世界の構造)の視点からみた統合失調症──統合失調症とその下位分類の再考
第五章 破瓜型統合失調症患者の自己‐世界感とその精神病理再考
第六章 妄想型統合失調症患者の自己‐世界感とその精神病理再考
第七章 緊張型統合失調症患者の自己‐世界感とその精神病理再考
第八章 「こころの構造」の視点からみた統合失調症患者の精神行動特性再考
第四部 「非定型精神病」とは──患者の自己‐世界感をめぐって
第一章 「非定型精神病」とは
第二章 「非定型精神病」患者のこころの構造と彼らの求める世界
第五部 破瓜型統合失調症と高機能広汎性発達障害との異同とそこからみえてくる精神病理
第一章 ひとのこころの構造からみた高機能PDDと統合失調症
第二章 誤診例に学ぶ
第三章 統合失調症とPDDをわれわれはどのように捉えてきたか?──精神医学の歴史から
第四章 高機能PDDと統合失調症の誤診の実態──O氏の例から
第五章 「一般型自己」の機能障害としての側面──陰性症状をめぐって
第六章 感覚をめぐる諸体験の局面──「生の感覚」をめぐって
第七章 高機能PDDらしさと統合失調症らしさ
第六部 広汎性発達障害と統合失調症との合併をめぐって
第一章 PDDと統合失調症との合併の考え方
第二章 スキゾイドと単純型統合失調症をめぐって
第三章 統合失調症・構造化不全群の再考
おわりに
あとがき
文 献
索 引
内容説明
「はじめに」より抜粋● 筆者に限らず臨床医であれば、統合失調症や「非定型精神病」といった、いわば深い病態を持つ症例と対峙したり、並んで歩んだりしたとき、患者のふとした言動に戸惑いを覚えることが少なくないであろう。しかもそれは、いくら経験を重ねても、また知識を増やしても、多分変わらぬことであると思う。「彼らのこころは、いったいどのような構造になっているのだろうか」、そのような素朴な言葉が頭をよぎる瞬間である。 人間の「こころの構造」といえば、筆者の年代の医師にとっては、まずは神経症理論に基づいた構造が思い浮かぶ。しかし深い病態にある患者を前にすると、それを遥かに超えた理解を迫られる。そのようなときしばしば筆者は、精神療法の限界を感じ、治療の手がかりを見失いそうにもなる。その戸惑いや不安を多少とも軽減し、少しでも適切な精神療法を行うためには、やはり統合失調症患者(発病前から慢性期まで)や「非定型精神病患者(病相期も病間期も含む)」が持っている「こころの構造」を、より深く、より的確に理解する必要があるのである。 筆者が経験している臨床上の差し迫った状況は、ほかにもある。それは「高機能広汎性発達障害者」との出会いの機会の増加である。たしかに高機能PDDは、近年にわかに注目を浴びている障害である。とくにアスペルガー症候群という用語は、精神医学の現場にとどまらず教育界や職場にまでも浸透し、「流行語」のようになっている感がある。 PDDに関しては近年、生物学的‐心理学的研究が急速に積み重ねられ、彼らに関する知見も飛躍的に増加した。また彼らの認知行動特性に焦点を当てた治療法も、だいぶ発展してきた。しかしわれわれ成人の精神科医が直面する問題は、社会の中で生活する高機能PDD者であり、その中で顕在化するひとりの人間としての諸問題である。臨床場面で筆者は、それをめぐる高機能PDD者自身の「戸惑い」と、彼らを囲む人々の「戸惑い」との両方に絶えず直面している。そこでは、両者の人間としてのあり方のズレを目の当たりにする。この両者に生じる戸惑いを解消するためには、まず彼らと一般者の「こころの構造」の相違を考究せざるを得なくなってくるのである。 筆者はこの四半世紀、一貫して臨床精神病理学の視点から精神障害者のもつ病理と生き方を考えてきた。いくら科学が進歩し、またエビデンス重視の医学が求められようとも、人間としての「患者さん」を捉える姿勢は失うべきではないと、信じているからである。 しかし筆者が依拠してきた精神病理学理論もまた、基本的には19世紀末以降の心理学の理論を土台としている。しかしそれでは病態の一側面は語り得ても、たとえば慢性期の破瓜型の統合失調症患者のもつ人物像、「非定型精神病患者」が没入しようとする世界の構造、さらには高機能PDD者の普段の人物像や自己感までをも語り尽くせるものではない。実際に生きている患者を目の前にして、不全感を感じるのは筆者だけではないと思う。やはり彼らには、たんに社会や文化から求められるこころの構造の不成立や破綻がみられるだけではなく、彼らにもまた何らかの基本的なこころの構造が機能しており、それこそが彼らの生きる姿を表わしているようにも思えるのである。筆者は、一旦一般者のこころの構造の原点にまで立ち戻り、改めて統合失調症患者や「非定型精神病」患者、そして高機能PDD者の精神病理を見直したいと思うのである。そこから新たに精神病者や発達障害者の、生きた姿が捉えられることを、切に期待するからである。
著者情報
広沢 正孝 著
1957年東京都に生れる。1985年東北大学医学部卒業,精神医学,精神病理学,社会精神医学専攻。1989年順天堂大学助手,順天堂大学医学部付属順天堂越谷病院精神科。1996年同講師。1998年順天堂大学医学部付属順天堂医院メンタルクリニック外来医長。現職順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科教授,同大学さくらキャンパス学生相談室室長 専攻:精神病理学