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フロイトを読む

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フロイトと出会い対話するための絶好の案内書

著者 キノドスJM
福本修
ジャンル 精神分析
出版年月日 2013/11/13
ISBN 9784753310708
判型・ページ数 B5・320ページ
定価 本体4,600円+税
在庫 在庫あり
 

目次

目次
 
各章の構成と表記
フロイトを読む
ジークムント・フロイト年表

第Ⅰ部 精神分析の発見(1895?1910)
『ヒステリー研究』
『ヴィルヘルム・フリースへの手紙』
「心理学草案」
「防衛‐神経精神症」,「ある特定の症状複合を『不安神経症』として神経衰弱から分離することの妥当性について」,「防衛‐神経精神症再論」,「神経症の病因論における性」,「遮蔽想起について」
『夢解釈』,『夢について』
『日常生活の精神病理学にむけて』
『機知──その無意識との関係』
『性理論のための三篇』
「あるヒステリー症例分析の断片(ドーラ)」
『W.イェンゼン著「グラディーヴァ」における妄想と夢』
「ある5歳男児の恐怖症の分析(少年ハンス)」
「強迫神経症の一例についての見解(鼠男)」
『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期の想い出』

第Ⅱ部 成熟の時代(1911?1920)
「自伝的に叙述されたパラノイア(妄想性痴呆)の一症例に関する精神分析的考察」
「精神分析の技法についての著作」
『トーテムとタブー』
「ナルシシズムの導入にむけて」
『メタ心理学諸篇』(1915?1917),『精神分析入門講義』
「ある幼児期神経症の病歴より(狼男)」
『不気味なもの』
「子供がぶたれる──性的倒錯の発生をめぐる知見への寄与」
「女性同性愛の一事例の心的成因について」

第Ⅲ部 新たな展望(1920?1939)
『快原理の彼岸』
『集団心理学と自我分析』
『自我とエス』
「マゾヒズムの経済論的問題」
『制止,症状,不安』
『ある錯覚の未来』,『素人分析の問題』
『文化の中の居心地悪さ』,『続・精神分析入門講義』
現実の否認と自我の分裂についての諸論文,『精神分析概説』
「終わりのある分析と終わりのない分析」,「分析における構築」
『モーセという男と一神教』

今日フロイトを読むとは?
補 遺
文 献
監訳者あとがき
人名索引
事項索引
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福本修(ふくもと おさむ)
1958年 横浜生まれ
1982年 東京大学医学部医学科卒業
1990年 静岡大学保健管理センター助教授
1993年 タヴィストック・クリニック成人部門留学
2000年 タヴィストック・クリニック成人精神分析的精神療法課程修了
専 攻 精神医学・精神分析
現 職 恵泉女学園大学人間社会学部社会園芸学科教授/長谷川病院/代官山心理・分析オフィス

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内容説明

「今日フロイトを読むとは?」より抜粋■  フロイトには,今日もなお意義があるだろうか。彼の考えは普遍的な価値を持ち続けているだろうか。それに由来する治療的な方法,つまり治療としての精神分析は,私たちの時代でどのような位置を占めているのだろうか。  このような問いをする人たちに私は,精神分析がまだ確かに生きていると答える。マルト・ロベールMarthe Robert(1964)が述べた「精神分析の革命」は,今なお進展している。そのことを示すために,私は本書『フロイトを読む』を,フロイトの思考および精神分析の活力を明らかにするような研究法として構想した。  私はできる限り,フロイトがドイツ語でしたように,日常言語の言葉を用いた。そのせいで彼の思考の複雑さが減じたところは,全くない。私が重要に思うのは,彼の著作のどれかを読むことが,私たちに個人的に感銘を与える何かを語り掛けてもたらすように,フロイトのテクストと思考を,誰の手にも届くものにすることである。私たちの存在の核心に反響させることで,フロイトを読むことは自己探究のための出発点になることができる。  その観点からすると,フロイトは,自己分析の過程で無意識を見出して以来自分が採った道程を進むようにと,私たちに勧めている。生涯を通して彼がしたのは,単に一つの発見ではなく,一つが他を導き出す,発見に次ぐ発見だった。それが,フロイトのテクストを年代順に読むことに,歴史的関心以上の意味がある理由である。それは,私たちが次第に内的な探究を進め,遂には私たち自身の道を見出すための案内として役立つことができる,探検の物語に関わっている。  本書の終わりには,読者はおそらく,フロイトが私たちに発展の大きな可能性のある遺産を私たちに残しており,それらはフロイト以後の精神分析者たちの貢献によって活用されていることに気づくだろう。その潜在的可能性は使い尽くされた状態から程遠く,私たちに,私たちはこの財産をどうしたらよいのだろうか?と問い掛けている。それの答えは精神分析者によってさまざまであり,私たちの相続の仕方は,フロイトの死との関連で私たちが行なう喪の仕事による。或る者にとって遺産に忠実であることは,それがあるままに保持することを意味するが,例えばダニエル・キノドスが描いたように,「私の先祖から受け継いだ,食洗機には耐えない貴重な陶器のように,フロイトの貴重なテクストを安全なガラスケースに入れておく」(2002: 183?184)ことによって,それを凍結させる危険がある。他の者たちにとってフロイトに忠実であることは,遺産の一部を独り占めして,全体への害を顧みずに,孤立してそれを発展させることを意味する。それの危険は,精神分析者と同じ数の精神分析が存在するように,精神分析を分散させることである。  時の経過とともに,今日私たちを待ち受ける障害物をどのように避けるべきだろうか。個人的には,フロイトの遺産を生き生きと保つ最も良い方法は,彼が私たちに残したものを通じて彼との対話を確立しつつ,その力動のすべてを伝えることだと思っている。私は『フロイトを読む』が読者にとって,フロイトと出会う機会となるばかりでなく,更に先に進み,彼自身の著作を通して彼と対話することへの招待ともなることを望んでいる。  フロイトはもはや存在しない。それでも彼は,彼の著作を通じてばかりでなく,彼が私たちに伝承した精神分析的治療を通して生き続けている。フロイトの著作を読むことと,精神分析を行なうことは,二つの別の過程である。後者でもやはり,フロイトと連続性がある一種の対話が確立されるが,それは分析者と被分析者の間の,転移・逆転移関係を通じてである。そしてそれは,また別の物語である。    ジャン‐ミシェル・キノドス

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