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快の錬金術  新刊

報酬系から見た心

目次

第Ⅰ部 報酬系が人を支配する
 第1章 頭医者は不埒な夢を見る
 第2章 報酬系という脳内装置がある
 第3章 Cエレガンスは報酬の坂道を下っていく
 第4章 報酬系という装置を作ってみる
 第5章 報酬系──遂行を促す脳内システム
 第6章 神経ネットワークの快楽
 第7章 快の追求は倫理を超える
第Ⅱ部 報酬系の病理
 第8章 射幸心という名の悪夢
 第9章 嘘という名の快楽1
 第10章 嘘という名の快楽2──「弱い嘘」つきは人間の本性に根差す
 第11章 自己欺瞞と報酬系の問題
 第12章 自己欺瞞の何が問題なのか?
 第13章 報酬系と集団での不正の問題
 第14章 自傷と報酬系
第Ⅲ部 報酬系と幸せ
 第15章 いろいろなハイがある
 第16章 フロー体験の快楽
 第17章 男と女の報酬系
 第18章 磨かれた報酬系と偉大な魂
 第19章 幸福な人の報酬系
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岡野憲一郎(おかの けんいちろう)
1982年 東京大学医学部卒業,医学博士
1982~85年 東京大学精神科病棟および外来部門にて研修
1986年 パリ,ネッケル病院にフランス政府給費留学生として研修
1987年 渡米,1989~93年 オクラホマ大学精神科レジデント,メニンガー・クリニック精神科レジデント
1994年 ショウニー郡精神衛生センター医長(トピーカ),カンザスシティー精神分析協会員
2004年 4月に帰国,国際医療福祉大学教授を経て
現 職 京都大学大学院教育学研究科臨床心理実践学講座教授
米国精神科専門認定医,国際精神分析協会,米国及び日本精神分析協会正会員,臨床心理士

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内容説明

【はじめにより抜粋】人の脳は、他の人にとってはどうでもよかったり、苦痛にさえ感じることを、快という純金に変えることができる。収集癖がある人や、オタク系の人を見ていると、それがよくわかる。他人にはその良さが一向にわからないものを集め、彼らはそれを生きがいにする。
 私たちの中にいる快の錬金術師が最も腕を振るってくれるのが、家事かもしれない。掃除洗濯、食器洗い、ゴミ出し。家事に携わる主婦や主夫たちの多くが、洗濯機が回っているのを眺めることに快を感じ、洗濯物を物干しに整然と隙間なく並べることに心地よさを見出す。もし家事が心地よさや快に結びついていないならば、汚れた洗濯物や食器やゴミは山のように溜まる一方だろう。いわゆるゴミ屋敷はその究極の姿かもしれない。報酬系は私たちの生活に欠くことのできない退屈な単純作業を喜びという金に変えてくれるのだ。なんとありがたいことだろう。
 しかし人を幸せにしてくれる錬金術師は、その人をときに破滅に導くこともある。アルコールを嗜まなかったときは、ただ透き通って少し色のついた液体だったものが、それなしではいられず、またそれに溺れるものへと変化してしまう。純金どころか毒を生み出すのも人間の脳なのである。
 ともかくもAさんのエピソードから書き起こすことで、本書の趣旨を少しはご理解いただけたかもしれない。本書は私がこれまでで一番書きたかったことをまとめたものである。それは次の疑問に答えるためのものだ。
 何が人を動かすか? What makes a human being tick ? (人間という時計の針を動かすものは何か?)
 これは私が物心ついて以来持ち続けている関心事である。人を見ながら、そして自分を見ながら「どうしてこんなことをするんだろう?」と素朴に思いをめぐらす。そんなことを私はごく幼少のころからいつも考えていたと思う。心を扱う仕事(精神科医)についてからもずっとそうである。私の治療者としての一言に相手が喜び、失望し、いらだつのを感じながら、そのことを問い続ける。ある薬を投与し始めてから顔色が急によくなり、話し方が違ってくるのを見て驚く。若者がある書を読んで突然発奮して夢を追い始めるのを見て考え込む。そしていつも行き着くのは、「快、不快」の問題である。
 私たちの脳の奥には、ある大事なセンターがある。それは「快感中枢」とも「報酬系」とも呼ばれている。そこがある意味では人の言動の「すべて」を決めている。心身の最終的な舵取りに携わるのが、このセンターだ。
 報酬系はもちろん人間にのみ存在するわけではない。おそらく生命体の最も基本的な形である単細胞生物にも、その原型はあるのだろう。しかしそれはおそらくドーパミンという物質が媒介となることにより始めてその正式な形を成す。たとえば原始的な生物である線虫の一種は、脳とはいえないほどシンプルな神経系を備えているが、そこにはすでに数十の神経細胞からなるドーパミンシステムが見られる。線虫(本書では第4章で「Cエレ君」という偽名で登場する)は快感を覚えてそれに向かって行動しているのだ!
 人を、あるいは生き物を、快、不快という観点から考えることはおそるべき単純化といわれかねない。しかしそれでこそ見えてくる問題もある。私たちが行う言語活動は、ことごとく快を求め、苦痛を避ける行動を正当化するための道具というニュアンスがあるのだ。そう考えることで私たちは私たち自身を一度は裸にすることができるのだ。その意味では本書が示す考えは、精神を扱うどのような理論に沿って考えていても、いったんその枠組みから離れ、より基本的な視点から捉えなおす助けとなると考える。

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